日本のことその美 その2 当日の様子
2025年 11月23日(日・祝)に名古屋能楽堂にて「日本のことその美 その2」が開催されました
当日の様子
能から歌舞伎へ
原作観世元雅・演出・脚本 半寿
『隅田川』 道行
― 綾渡の夜念仏 ―
班女 市川櫻香
舟長 市川新蔵
箏曲『千鳥の曲』 今井勉
替手 二村朋子
なぜ、語り継ぐ「尾張藩と平曲」
尾﨑正忠・今井検校勉
聞き手 林和利















隅田川上演の背景と目的
【隅田川‐道行】
【上演の背景と目的】
地域文化遺産を総合活用し、芸術を通した地域の活性を目的に愛知県から発信。愛知は、今の、日本の芸術文化を形作った、桃山文化の代表と言える能や茶を今の形につくった尾張三河ゆかりの三人の武将達の故郷である。彼らがそれまでの文化から、新たに多彩な文化を生みだしていった。彼らの郷愁と求新。牽引したのは利休や世阿弥、多くのさまざまな人が彼らと共に新しい時代を創生した。そのことは、2024年「一宮妙興寺特別寺宝展」〈秀吉の学問所〉で地域の僧侶らの功績などを「東海の中世史」を研究されている齋藤菜月教授、茶について野村美術館谷晃館長、宗教哲学を明治大学美濃部仁教授、能楽師の方のご講演などが本作品への意欲につながった。
【能「隅田川」と時代】
さて、「隅田川」道行については、まず能の名作「隅田川」の作者は世阿弥と元雅である。桃山の少し前、室町中頃であるが、「能狂」と言われるほどに能を愛した秀吉や大名らは、戦国時代、戦のなかにありながらも、自らも能を舞い、また稽古をする。茶への傾倒も含めて、私は新しい文化を創る生き込みと故郷への郷愁を感じる。
【原作の内容】
能「隅田川」は能の中でも、中世の社会をうつしたが普遍的な作品である。京都北白川から、人商人にかどわかされた我が子を狂乱しながら、ついには隅田川の渡しまでたどりついた。母が、渡し守り(船頭)と「伊勢物語」の歌のやりとりがあり、その後舟にのせてもらう。舟の中で我が子の死を知る、土地のものが、ちょうどその子の一周忌となるのを大念仏で供養をする日であった。我が子が亡くなったことを知った母は、念仏をするうちに息子の亡霊が現れ、抱きしめる間もなく夜明けとともに消えしまうという、親子の悲しい別れを描いた作品である。
【「道行」をつけたこと】
この普遍的な内容の日本の古典作品を、地域にも根差した作品にするにはどうしたらよいかと考えたことから、『隅田川』に本来はない部分の「道行」をつけることにした。
【「隅田川―道行」の内容】
京都から我が子を探し、知立八橋の渡し場までたどり着いた。隅田川は、まだまだこの先である。八橋は「伊勢物語」で業平が詠んだ有名な歌の地である。渡し場で船頭とのやり取りも、「からごろもきつつなれにし つましあれば」とよみ、子を探し「はるばる来ぬる旅をしぞ思う」と乗船を懇願する。
舟に乗ると向こうの岸に、多くの人が集まっている。今日は〈綾渡の夜念仏衆〉が念仏をあげに来る日であるという。船頭は、遠く隅田の渡し場では、人商人に連れられた子どもが病で倒れたと話しをする。舟が着く、舟から降りようとしない先ほどの狂女が、船中で話した病で倒れた子の母と知る。そこに綾渡の念仏衆がやってくる。母は、念仏の声に我が子の声を聞き、子への思いを更につのらせ、船頭は狂女と石仏に子の無事を願い、東国(隅田川)への長旅を案じる。
【地域との関わり】
愛知地域との関わりは、綾渡の夜念仏(豊田市)、八橋の渡し場(知立)、八橋における『伊勢物語』の古歌、母が歌う「千鳥の歌」(吉沢検校)です。愛知、知立の八橋が名作「隅田川」前場の地となりました。
【上演後アンケート】
「道行は、風の感覚、草のゆれ、川の波、千鳥の声、石ころ、すべてが母の心を支えた」「舟にのりたくば、面白う舞えと、舞わなければ舟に乗せないと言われ舞う。千鳥の飛ぶ姿を見て舞ううちに、自身が鳥となって我が子の姿を探す。自然に身体と心がひとつに母鳥が子を探すように感じられた」
【演者の言葉】
綾渡の夜念仏の念仏を一心にきくうちに、子の声を聞くのですが、念仏が本物ですので(いつもですと演奏家の唄です)、綾渡の念仏衆がその場に、綾渡地域の山や谷や川が重層された念仏に感じられました。まさに、共有する地域感覚がもたらしました。綾渡の夜念仏も伝統芸術も、信じる力の重みと思います。観客の皆様にも感じてもらえたようです。
隅田川-道行
配役
狂女 市川櫻香
船頭 市川新蔵
綾渡夜念仏(愛知県豊田市綾渡町)
笛 福原 寛
鳴物 堅田新一朗
住田福十郎
会場 名古屋能楽堂
2025年11月23日上演